田中ましろさんへのインタビュー<前編>
「うたらば」配布店舗はどう決まる?
光森 インタビューに際してこれまでの記事を振り返って読んでみたのですが、いろんなお店に「うたらば」を設置されていますよね。配布対象のお店はどのように選んでいるのですか。
田中
僕が選んでいるお店はほぼなくて、ほとんどが人から紹介してもらったところです。投稿してくださっている人の知り合いのお店や、よく行っている店の情報が「うたらば・配布店舗申請フォーム」から寄せられます。
自分のよく行くお店をご紹介していただければ、投稿者にとって、いつでもすぐ近くのお店で「うたらば」が手に入るというメリットがあるので。そのあたりのギブ・アンド・テイクがうまく機能してくれているということですね。
光森
投稿者自身がお店を探すことがある、というのは面白いですね。自分の歌が掲載される可能性がある冊子をどこに置きたいか、という視点でお店を選ぶでしょうから、必然的にすてきなお店が集まりそうです。
配布店舗で「うたらば」を手にされた方からの反応はありましたか。
田中
たとえば最初の頃には、「広島のカフェでこんなものを見つけた」と写真付きで「うたらば」を紹介するブログ記事があがったことはありました。
最近では、書肆侃侃房さんの繋がりで設置させてもらった福岡の「Read cafe」というお店でたまたま「うたらば」を手にされた山本由貴さんというタレントさんから、「これに出たいです」というメッセージをいただきました。山本さんは、九州を中心にタレント活動をされている方なんですが、その方にモデルをしていただいてvol.11【機械】が出来上がりました。
光森 「出たい」というのは、「歌を投稿したい」ということではなくて…
田中 写真のモデルとして、ですね。で、「よろこんで!」とお返事して、福岡まで撮影に行きました(笑)
光森 冊子として魅力的だったから「出たい」という、逆提案があったということですね。
田中 そういうことです。それはレアなケースですが、そんな風にいろんな方と繋がっていけるとありがたいですし、当然、断るわけにもいかないですね。
光森 ちなみに、一配布店舗あたり「うたらば」は何部納めているのでしょうか。
田中 基本は一店舗あたり15部です。需要の多いところ、たとえば「葉ね文庫」さんや「ONLY FREE PAPER」さんには少し多めに入れたりもしますが。そのエリアにある配布店舗数によっても異なりますが、基本的にはどのお店も15部ですね。
光森
一店舗15部以上というのは結構な数ですね。短歌に馴染みがなくても、ふと手にされる方も多そうですね。
”解説”ではない”短い言葉”
光森 「うたらば」では短歌に”解説”ではなくて、”短い言葉”を添えられていますが、これは何故でしょうか。短歌にほとんど触れたことがない人だと、解説がないと読み解くのが難しい場合もあると思われるのですが。
田中 そうですね、解説を書いてもいいのですが、それを書いちゃうと読者の読みが広がらないんじゃないかと思って。せっかくの短歌なのに、「この歌はどういう意味なんだろう?」と考えないかもしれない。そこが一番大きいですね。なにかこう、世界観を広げるサポートをする。読みの方向性を少しだけ絞ってあげるみたいな距離感で言葉を添えています。
光森 従来の短歌の入門書などは、長いエッセイや解説が中心で、短歌よりも文章の方が多いの普通ですよね。私は、俵万智さんが書かれた短歌の鑑賞の本などから短歌に入ってきたのですが、それと比べると、写真が入っていることも含めて全く見せ方が違いますよね。
田中 入門書としては、僕は穂村弘さんの『短歌という爆弾』が最初でしたが、そこらへんは短歌を本気でやろうと思ってから読めばいいことで。短歌のことが良くわからなくても雰囲気や世界観を楽しめる入り口になるのが「うたらば」の役割かなと思っています。興味さえもってくれたら、そこから短歌を勉強していく方法はたくさんあるので。
光森 そうなると、いわゆる人口に膾炙した名歌とされるものや、ベテラン歌人の代表歌など、既存の短歌を掲載するのではなくて、投稿歌を募るかたちであるのはどのような理由でしょうか。
田中
とにかくたくさんの人を巻き込もう、という狙いがありました。僕個人が既存の名歌を集めて「うたらば」を作っていても、こんなに広がらなかったと思うんですよ。たくさんの人を巻き込むことで参加者が発信者にもなって、作品を遠くに届ける推進力になるという確信はありました。
同時に、僕がよく投稿していた「夜ぷち(NHKラジオ番組 夜はぷちぷちケータイ短歌)」の常連さんや、「短歌サミット2009」を一緒に運営した友達の作品をすごく良いと感じていた、という理由もあります。当時はいわゆる結社誌に載っているような短歌と比べて、ラジオやネットで発表される短歌が歌壇的に評価されていない感覚があって、どこか軽視されていることに対する反骨精神もありました。自分がリスペクトする人たちの短歌を遠くに届けたいという思いから、投稿を募るかたちになりました。
光森 なるほど、そういうわけなんですね。
田中 創刊号のvol.00は投稿ではなくサンプル誌として作りましたが、その次からは投稿というかたちでした。読者にとっても、ネットの歌人さんたちの短歌が載っているほうが敷居が低く感じられて、短歌に興味を持つきっかけになりやすいんじゃないかと。
光森 投稿されている方は、「うたらば」をどういう場だと感じていると思われますか。
田中 うーん、みんながどう思っているかは、正確には分からないですが…。ただ、「うたらば」に短歌が採用されると、「うたらば」のツイッターフォロワー2,500人に作品が流れるわけです。採用歌によって自分の名前を覚えてもらえる、さらには、名前が知られることによって「うたらば」以外の場での交流がスムーズになる。そんな風に「うたらば」という場を使ってもらえたらなと思っています。
光森
たしかに、多くの人の目に留まる大きな機会になりますね。
大変だった「うたらば」は何号?
光森 投稿数や発行部数が増え続けるなかで、一番大変だったのはどの号でしたか。
田中 一番大変だったというか悩んだのは、やっぱり創刊号のvol.00ですね。コスト計算から逆算したページ数で作ると決めたら、10首10人分の短歌が必要でした。創刊号は「佳作集」のコーナーはなくシンプルに10首分が掲載された冊子でしたが、自分の好きな歌人さんから、どの人に声をかけるのかに悩みました。仲の良い人ばかりに声をかけて、内輪の本と思われるのは嫌でしたし、あえてすこし距離のある人にも声をかけた方がいいのでは、などと悩みました。
光森 実験的な位置づけであったとしても、最初の号がその後の号を性格づけてしまうものですよね。その後は順調だったのでしょうか。
田中 投稿数も徐々に増えましたので順調だったと思います。その次に大変だったのは、配布店舗の数が増えて、制作部数が多くなってきたころですね。発行部数が600部ぐらいになったvol.06【入道雲】のときです。「入道雲」というテーマのvol.06と、「鍵」というテーマのvol.07とで大きく変わったことがあります。vol.07から印刷と製本を外注してるんです。vol.06までは完全に手作り。自分で紙を買ってきて印刷・製本していました。表紙などを自由に選べるのは楽しかったのですが、自分の手で中綴じ製本をするという作業が本当に大変で。試行錯誤してロスの少ない作り方を編み出してはいたのですが600部という部数を、仕事から帰ったあとの夜中にちまちま折ったり切ったりするという労力。手伝うと言ってくださる人もいたのですが、そのために来てもらうのもなぁ…いうのもあって。その大変さに負けてvol.07から業者に委ねました。お金的にはより厳しくなったのですが、それはもう時間をお金で買うという考え方で。
光森 大きな変化ですね。発行に掛かるものが、「時間」から「お金」に変わったということで、依然として大変だと思うのですが、それでも「うたらば」を続けていくモチベーションは一体何でしょうか。
田中 2012年から1年ほど、積極的に短歌を投稿する先が僕自身になかったんです。「夜ぷち」が終わったときに思ったのですが、投稿の場がなくなると短歌から離れる人も出てくるんですよね。だから今「うたらば」がなくなったら、短歌をやめてしまう人ももしかしたらいるかもしれないと思って。とはいえ、「続けなければ」という強迫観念はないです。結構のんびりとやっています。
光森 でも実際、大変そうですよね。
田中 最近はちょっと後手後手にまわってしまってますね…。仕事が忙しいとそうなってしまうのですが、みなさん寛大に待ってくださるので助かっています。
「うたらば」と「選」
光森 すでにvol.12まで発行されていますが「うたらば」を続けているなかで、嬉しかったことや、逆に受けた批判など、心に残っていることはありますか。
田中
嬉しいことは、きちんと読者がいると実感できることです。たとえば、冊子配布希望の問い合わせが来るときに、どこどこで見かけたのでウチでも置きたいんです、と店主さんご自身から送られて来る、とか。ご本人が短歌好きだったりするのですが、投稿者ではない方から直接連絡が来たりするとすごく嬉しいですね。
批判は最近は減ったかなぁという感じです。始めたころは結構ありましたよ。僕が歌人という土俵で選歌をはじめると、“おまえ誰やねん”感が強く出てしまうので、「うたらば」の紹介のところにはあえて、「コピーライターとして選んでいる」だったり、「世の中に広めた時に世の中が反応してくれそうな歌を選んでいる」という基準を明確に書きました。純粋に短歌としていいというものよりも、あくまでも僕が定めた編集方針や「うたらば」を広めるという視点で選んでいるということを強調したのは、批判を減らすための予防線だったりしました。それでもいろいろ言われましたけどね(笑) 総合誌の時評などで取り上げていただくうちに、あからさまな批判はあまり聞こえなくなりました。
光森 難しいですよね。短歌の世界ってこう、歌会の場では誰でも平等ですし、歌集も自費出版が基本なのでコストがかかるとはいえ誰でも出せますよね。そういった分かりやすい平等性のなかで、「選」という行為だけは違っていて。選をする人と選を受ける人が、入れ代わることはない。その方法や目的はさまざまだと思うのですが、「選」という言葉を使う以上、いろいろな反応が出るのは想像に難くないですね。
田中 僕自身、選をしてるから成長できる面もあって。歌集を読んでいても、いいと思う歌・あまり好きではない歌を考えながら読む癖がついてます。漠然と読んでいたら短歌を読み解く力は深まらなかったかも、と。日常的に選をすることで、自分の中で良し悪しの基準が磨かれてきたということは、実感としてありますね。
光森
広い意味での「選」は、本来誰もがやっている行為とも言えそうですね。いずれにせよ、反応があったということは「うたらば」が従来の枠組みには収まらない存在だった、ということだと思います。
*「田中ましろさんへのインタビュー<中編>」に続く