「短歌を知らない人に届ける」ということ
「短歌を知らない人に届ける」とはどういうことか
突然ですが、ガム市場は近年、急速に縮小しています。「若者の○○離れ」にちなんで「若者のチューイングガム離れ」などと呼ばれたりもしています。以前に本業の広告屋のほうで某社のガムのCM制作に関わっていた時に聞いた話ですが、なぜ若者がガムを噛まなくなったのか、その原因は非常に意外なものでした。それは、スマホの普及にある、というもの。何かの調査結果に基づく話ではないらしいですが、かつて何となくガムを噛んでいた電車内の時間が、スマホのゲームやLINEなどに集中する時間に取って代わり、ガムを噛む必要がなくなったという、言われてみればたしかにそのとおりの話です。2000年代に「情報爆発」が起こり(図1・図2)、世の中に情報が氾濫している時代。24時間、365日という限られた時間をテレビやネット、スマホゲームなど様々なコンテンツが奪い合っていると考えるのが近年のコミュニケーション・プランニングの基本になっています。
なんて、冒頭からずいぶんと脱線したように見えるこの話、きちんと短歌に戻ってきます。短歌も世の中的に見れば数多あるコンテンツのひとつ。「短歌を知らない人に短歌を届ける」とは短歌が小説や雑誌はもちろん、映画、テレビ、スマホといった強力なコンテンツたちと同列に比較されるということです。しかも相手は「情報爆発」を経験して、身の回りの情報を瞬時に取捨選択するスキルが格段に発達した人たち。現代歌人の名前を聞いてもピンと来ません。参考までに、自分では短歌を詠まない人に短歌のイメージを聞いたアンケート結果を添えておきます。2013年の新鋭短歌シリーズ出版記念イベントの前に簡単にアンケートをとってみた結果です。
- Q:短歌ってご存知ですか?どんなイメージをお持ちですか?
- 俳句よりは、なじみの浅い感じでしょうか。ですが、詠むと情景などがはっきり空想できる…そんなイメージです。
- 「短歌」というと、とても優雅なイメージがあり、和室、着物、茶道…普段の生活で縁のないように思っておりました。
- 知っています。百人一首に代表されるみやびなものから、俵さんのものまでいろいろあるな…
- 五・七・五・七・七。川柳と似ている。川柳というと最近のイメージ(サラリーマン川柳など)もあるけれど、季語が必要。短歌というと昔のイメージ。詩人の思いが31文字の中に込められている。
- 国語の授業。ちょっと縁遠い。
- 知っています。子どもの頃からわりと好きでした。そういえば、学生時代は会津八一の歌集を持って京都奈良の寺を巡ったりしていました。ただ、学校を卒業するとあまり触れる機会がなかったです。
- 学校の授業で習ったが、面白くはない。「~けり」「~たり」など古い言葉を使っている。テストのために覚えた。
- 古今和歌集、百人一首のように古典的なイメージ。
- ご年配の方がやっているイメージ。
- 八百万の神からの声を言葉にのせて伝えていただくような、とても崇高なイメージを持っています。それまで神様はいなさそうに思えていたものにも、短歌で詠まれると、そこには何かあるような気がしてきます。
- 五、七、五、七、七で季語をいれて自分の想いをリズミカルに、短かくまとめる文法。それと日本独特の文化やね。
- 575で書く、という決まりがあることは知っています。日本古来の文学。
- 標語などでよく使われているイメージ。
- (短歌を詠まない人に聞いた短歌のイメージより抜粋。2013年11月調査。n=43)
こんな人たちに短歌の魅力に気付いてもらうことが一筋縄ではいかないのは明らか。作戦がなければ、なんとなく投げつけても華麗にスルーされるだけでしょう。だからこそ、「うたらば」では僕の広告制作者としての経験を活かして、「何も知らない人に伝わるかどうか」という視点での選歌を行っています。今回はその作戦の一部を、ご紹介したいと思います。
相手を知ろう
スポーツでも広告でも恋愛でも、何かを始めるときはまず相手を知ることから始めるのが基本。今回のターゲットは普通に生活をしている人、です。そんな人たちが周囲の情報とどんな風に接しているのかを簡単に図式化してみました。
作者の中ではきちんと完結していても読者にそれが伝わらないと「無関係」という判断を下される、Aの状態になります。一方で、Cの状態は恋歌において発生しやすい印象があります。小説やドラマや楽曲で多く取り上げられる恋というテーマは読者も接触経験が多く、表面的な感情やありがちなシチュエーションでは「どこかで見た気がする」と前向きに接触してくれないリスクがあります。もちろん恋というテーマ自体は読者の共感を得やすいため、うまく作れば深く刺さる短歌になるのですが、Cの状態になるリスクは他のテーマに比べると高いでしょう。同様に、社会風刺の作品も世論と同じことを詠っているだけではCの状態になる確率は高いと思われます。もちろんこれだけで選歌をしているわけではないですが、自身の作品がAやCの状態でないかをチェックするだけでも、「うたらば」という土俵の上では非常に重要なポイントになることは間違いありません。
瞬殺されないために
では、「A:無関係」と「C:既知」の状態を回避してBの状態を生み出すのは、どんな手法が考えられるでしょうか。この点に関しては正直、どんな手段でも構わないと思っています。というのも、接点は必ずしも「内容面での共感」である必要がないからです。たとえば、こんなキンチョーの広告の例。
テレビ番組を見ているときに好んでCMを見る人はいません。商品情報に対する聞く耳など持たない視聴者には、商品特徴での共感はまず得られない。ならば、まず「笑い」で振り向かせて、笑った隙に商品特徴を刷り込むのがいい。子どものままごとなのに会話内容は冷めきった夫婦というギャップでくすりと笑わせるキンチョーの面白CMにはそんな戦略があります。基本的に無関心、という点では短歌も同じ。「内容面での共感」でもよし、「笑い」でもよし、「恐怖」でもよし、「音の工夫」でもよし、「単語選択の面白さ」でもよし、「比喩の的確さ」でもよし。読者に瞬殺されないために、まずは「お?」と振り向かせる。その模索はあらゆる創作において、よい訓練になるはずです。
振り向かせて、それから
さて、うまくBの状態になったとき、接点から作品世界の深部に読者を引き入れるには何が必要でしょうか。せっかく興味を持ってもらったのに、読み進めたらなんか普通だった、では読者として定着してくれません。「うたらば」では読者を引き込める作品かどうかを「ハタヒザ力」により判断しています。「ハタヒザ力」とは、「ハタと膝を打たせる力」のこと。そう書くと“納得感”みたいなことになってしまいますが、もう少し広義にとらえて“共感”や“発見”、“謎”、“驚き”、“哀愁”など読者の心をつかむ工夫をまとめてそう呼んでいます。一首を読み終えたあとに、「そうきたか」と思える読後感があるかどうか。そこにアイデアがないと読者は膝を打つことができず、作品の入り口で立ち止まってしまいます。と、アイデアの一言で片付けてしまってはなんとも無責任なので、コピーライターらしく発想法の基本に触れて今回の記事を締めておきます。
アイデアは降ってくるものではない
発想法についてはいろいろな本が出版されていますが、中でもJ.W.ヤング氏の書いた『アイデアのつくり方』という本はシンプルかつロジカルにまとめられている名著として有名です。その本ではアイデアを次のように定義されています。
アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。J.Wヤング 『アイデアのつくり方』P.28
つまりアイデアは天から降ってくるわけではなく、自分の知識をどんどん掛け合わせていった先にある、ということ。僕も広告業界に入ってまず「とにかく経験を増やせ。実体験でも小説や映画での疑似体験でもいい。自分の武器庫を充実させろ。」と教わりました。この方法は詠むべきテーマがあるときに非常に有効です。題詠やテーマ詠ではこの掛け算の片方を固定しやすいからです。分かりやすいように例を挙げてみます。
たとえば、「魚」というテーマがあったとします。ここに英語でいうところの5W1Hを掛け合わせて考えてみましょう。掛け合わせるものは何でもいいのですが、僕は5W1Hを使うのが比較的整理しやすくて好きです。各項目を穴埋めするように掛ける相手を探していくと、下記の表のようになりました。
ポイントは「魚」という言葉に引っ張られずに自由に掛け算を考えること。これにより、脳内にある「魚」の固定観念の枠が外れます。とにかく数を出したところから表を眺めてアイデアの種を探すのですが、このときに読者の想像の一歩外側を狙うことで「C:既知」の状態は避けることはできるはずです。頭を柔らかくするのに非常に有効なアプローチですので他のテーマでもぜひ試してみてください。短歌に限らず、アイデア出しが必要なまったく別の作業にも役立つはずです。
ここでご紹介したのは、あくまでも「うたらば」の読者を想定した短歌を選ぶときの僕の基本的な考え方です。公式サイトではこの考え方をもとに「『うたらば』の選歌基準について」の文章を書きました。ただ、こんな理屈に固執した手順で詠んでいては楽しくないと思いますし、これまで続けてきた自分なりの作歌手法は続けつつ、発想に詰まったときにちょっと試してみる程度の使い方をオススメします。もちろんですが、読者が変われば支持される短歌も変わるのは当然のこと。短歌を読み慣れた人が読者なら作品を読む姿勢も違うということも忘れてはならないことだと思います。
今回はここまで。次回はこんな考え方をもとに「うたらば」で実際に採用させていただいた投稿歌をご紹介していきます。