挽歌の効能
漫画での短歌の引用のされ方は様々だが、作品のテーマを伝えるうえで歌が重要な役割を果たす作品は少なくない。今回は他作者の挽歌を引用した作品を取り上げる。挽歌はどう活かされ、また解釈されているのだろうか。
ルネッサンス吉田『茜新地花屋散華』と仙波龍英
死ぬことで生まれる母
ここでは(仙波龍英)という表記が、引用という一つの行為の形跡を印象付ける。掲出歌はそこに置かれることで作品全体のメッセージに作用するはずだ。その作用を知るには、十三という人物の特異な自己像を理解する必要がある。母の遺体を引き取りに病院に向かった十三の独白を見てみよう。
母(坂江)が死んだことで、自らが演じていた十全(母の夫)も死ぬ。そして、十全の死によって十三と坂江はやっと子と母の関係になる。母が生まれるのだ。しかし彼は「得体の知れない私の本体(p.65)」があると独白する。「ナントカ十全は私から剥がされ(p.60)」た後も、十三は旅館組合の法被を羽織ることで娼館の「店主」を着込み、本体が剥き出しになるのを避けている。本体に対比する言葉として輪郭という言葉も登場するが、それは身体の痛みとして感知されるもすぐ失われてしまう。得体の知れない本体をあやふやな輪郭が包んでいるのが十三なのだ。
母の死へのそぐわなさ
以上のような不安定な自己認識は、掲出歌との関係でより強く印象付けられる。掲出歌の特徴である「は」の連打から連想するのは過剰な笑いである。歌の主体の言動(笑い)は、母の死という状況にそぐわないために、かえって彼の心中と大きな隔たりがあるように感じさせる。一方で十三は、母の死に感情を全く表現しない。
掲出歌は直後のシーンに登場するが、読者は歌を通して、十三の表向きの言動と心中との対置を想像するだろう。しかし十三は心を隠しているわけではない。誰かの死に悲しみや喜びといった感情を自覚できるということは、故人との間で育んできた関係があるということだ。このような固有の経験こそが統一的な自己の想像を可能にする。しかし十三と坂江とが培ってきた関係は夫と妻のそれであったため、子として母に対するいかなる感情も抱くことはできないのである。
「振り」が隠すもの
『茜新地花屋散華』のラストで十三は不明瞭な自己像を抱えたまま失踪する。その直前で「恐れていたのだ 心に、 血潮に、 魂に、 触れられることを(p.284)」と語るように、「輪郭」と「本体」にまつわる数々の行いは臆病さによるものだったと自覚している節もある。とすれば冒頭に述べた図1のシーンは、十三が自身に言い聞かせるように語った独白だったのかもしれない。
そして本作を読み終えた読者は、掲出歌にほのかに滲んでいたニュアンスを強く感じるだろう。それは、凄まじきかなと詠嘆した上で笑うわざとらしさである。その「振り」は外に向かっているのではなく、自らの本心に触れたくない臆病さを、自分自身に対して隠そうとしているのだ。
島田虎之介『東京命日』と寺山修司
父と息子の物語
安土
作品の中盤で、TV局の乗っ取りを企むも失脚した安土の父はこの世を去る。葬儀のために安土が青森の実家に帰省すると、父から寺山修司の短歌が遺されていた。
寺山の歌との相違点を探る
その後、安土は「言うことを聞くのはこれが最後」と言いつつ東京某所に向日葵の種を蒔く。掲出歌はここで再度登場する。
このシーン、掲出歌の要素とは異なる点がいくつかある。蒔かれるのが荒野ではなく埋立地である点、安土の父の遺灰もともに撒かれる点、種が一粒ではなくたくさんある点だ。 相違点を順を追って考えていこう。まず荒野は、掲出歌では処女地と対比されている。処女地という表現は、これから開墾し田畑をひらくという意志を含む。寺山の短歌はしばしば農村や土着性といった言葉で語られる。農村は、かつての荒野を処女地とし、開拓してきた歴史の上に成り立つものだ。「一粒の種を蒔いただけで荒野を処女地と呼んだ」とする発言には、かつての父や祖父のように勇ましく生きられない青年の自嘲が感じられる。その根底にあるのは、掲出歌が収録された連作「チエホフ祭*2」の〈向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し〉の歌にも見られる、父の死に対する失望である。この失望とは、近代国家の形成から敗戦までの歴史を担った、寺山世代の「父」の挫折=死に対するものだ。父のように生きたくとも、もはやその生き方は踏襲不可能なのである。
埋立地から荒野へ
一方『東京命日』で安土が種を蒔くのは、東京お台場の13号地周辺、つまり埋立地と推定される。
埋立地は、経済活動の基盤となる新たな土地を造るという意味で、処女地と言えるかもしれない。ただしお台場の13号地は、バブル崩壊の影響により世界都市博覧会が中止されたため、広大な空き地と化した場所である。つまり安土が種を蒔いているのは、処女地だったはずが結局何も生み出せなかった土地なのだ。それは寺山の歌の言うところの荒野=手付かずの土地とは異なり、一度は栄えたという皮肉と悲哀を帯びた「荒野」である。
安土の種蒔きは父の遺言に基づいており、また父の遺灰も同時に撒かれる。これを戦後の経済成長からバブル崩壊に至るまでの日本経済の盛衰と重ねあわせれば、「父の死」が強く印象付けられるだろう。男達が一つの頂点を目指していた時代とその終焉、それは寺山が向日葵を詠ってから数十年を経て繰り返された。そしてバブルに至る経済成長の担い手、つまり『東京命日』における「父」は、戦後に青春を迎えた寺山の世代である。
なぜ彼はたくさんの種を蒔いたか
『東京命日』では種蒔きの後日、一面に向日葵が咲く光景が描かれる。生命力あふれる向日葵は、男達の輝かしい夢、それを追い求めた生き様の象徴であろう。種がたくさん蒔かれることで引き出されたこの風景は、『東京命日』のなかでは必然だ。無数の人々の夢が乗算され、膨らんだ圧力に耐え切れず破裂した、それこそがバブル崩壊だったからである。
直後にシーンは墓地(小津安二郎の命日に参拝客が訪れる円覚寺)に切り替わる。無数の向日葵は、一人一人の墓が並ぶ姿と重なり、向日葵畑を見守る安土の姿は墓守のようにも見える。しかし一方で安土は消防学校の制服を着ている。父の物語に取り込まれていた彼は、父の死を見つめることではじめて自分の物語を生きようとしているのだ。