アスパラガスビスケットの韻律<前編>

漫画のなかの短歌を紹介する「漫画をよむと和歌になる?」第6回は『大阪ハムレット』(森下裕美)他を取りあげます。短歌のレイアウトからどんな韻律が読み取れるのでしょうか?
(月)
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 短歌は「韻律」と呼ばれる、音に関する情報を含む表現形態だ。韻律は「母音・子音の配列」「文字を追う速度」「句の間の休止」「音の伸縮」「音の強弱」等々の要素の集合として語られる。しかし、諸処の制約により現代の短歌はもっぱら目で読むものになっている。日本語の書き言葉は、発音以外に音に関する情報を指示しないため、ある歌がどのような韻律を持つか判断する手がかりがない。このため、一つの歌に対する読者の韻律の評価がバラつく可能性が高くなってしまう。

 これまで短歌のコミュニティは「読み」の重要性を説いて、読者間で「読み」を交換しながら、多様な作品を語るための様々な評価軸を生みだしてきた。大事なのは、それらの評価軸の存在が知られている、共通認識ができているという点だ。なぜなら、様々な評価軸に対する理解を土台とするからこそ、個別の作品の評価の妥当性をコミュニティ内で議論できるからである。なお、個々人がいずれの評価軸を採用するかはここでは問題にならない。

 しかし「韻律」は、「韻」つまり「母音・子音の配列」という、書き言葉でもわかる要素で語られることがほとんどだ。一方の「律」については、例えば『四句目が九音で字余りなので速めに読む』など、五七五七七という所定の音数との対比で考察するものがあるが、この例ならば「なぜ速めに読むのが他の読みより妥当なのか」にまで話が及ぶことはまずない。それ以上の要素を語ろうとする批評は稀である。短歌の読者は、韻律を語るときの前提が共有できていないのではないだろうか。

句の音数が多い場合速めに読む根拠を挙げた例としては「定型は句ごとの五小節かつ各小節の長さが同じ形式である」という説に基づくものがある。
・小池光「リズム考」(『街角の事物たち』五柳書院)
・比較文学者の川本皓嗣の見解(座談会「韻律と短歌」『韻律から短歌の本質を問う』岩波書店)
ただし後に小池自身が俵万智の歌を引いて「短歌形式の基本リズムがこれまで見てきたようなものから変形している」と述べている(「短歌の韻律」(『現代短歌一〇〇人二〇首』邑書林)。現代の短歌に上記の説をどのぐらい適用できるのか、適用できないとしたらどんな形式が代わるのか、検討はあまり進んでいない。

「リズム」について考える

 今回は「韻律」の要素のうち「文字を追う速度」「句の間の休止」に焦点を絞って考えてみたい。

 それぞれ「テンポ」「休止」と呼び、それらををまとめて「リズム」と呼ぶことにする。「テンポ」「休止」については、もう少し詳しく説明しておく。

  • テンポ
    • 一拍の速度。日本語は基本的に等拍(一音の長さが同じ)であるが、その一拍あたりの時間が短いほど「テンポが速い」と言うことにする。
  • 休止
    • 一拍以上、音を発さない間。

漫画のなかの短歌のリズム

 漫画のなかに短歌が登場するとき、レイアウトにかなり工夫が見られる場合がある。例えば次のようなケース。この場面では、登場人物の(あずま)直子*1が黙読しているので、彼女がどのようなリズムで読んだかがレイアウトに表現されている。

*1 歌人の(ひがし)直子とは無関係と見られる。

図1.「吸われし」は原典では「吸はれし」だが、ここでは現代仮名遣い表記になっている。[『大阪ハムレット』森下裕美(双葉社)第2巻p.13]

 説明のために、リズム上の節目を次のように書いた。〔1〕〔2〕は休止を、A,B,Cは休止によって分けられる各パートである。

〈 休止 〉

 休止の長さは〔1〕≒〔2〕である。

 まず〔1〕について。引用したコマはページの下半分にあたるため、読者の視線は左上から右のコマに下りてくる。このとき、「不来方の」がまず目に入り、次にその右下の直子の顔に視線が誘導されるので、その動き分、次の「お城の」に移動するまで時間がかかる。

 次に〔2〕は、「寝ころびて」まで狭い行間で推移してきたのが、「空に」までは空間的に大きく移動するため、やはり時間がかかる。結果として〔1〕と〔2〕にまとまった休止があることになる。視線の移動時間はどちらも同じぐらいなので、休止の長さもほぼ等しく感じられる。

〈 テンポ 〉

 テンポの速い順に、A=B>Cとなる。

 まず前提として、漫画の文章を読み進むときの速さについて考えておきたい。日本の漫画は、文字(セリフ)は縦書きなので上から下に、絵(コマ)は右から左に読んでいく。この複雑な情報処理をスムーズにするために、日本の漫画では、長い文章でも適当な文字数で区切って横に並べるというスタイルをよく用いる。こうすると文字部分は縦と横の長さが近くなり、全体的に四角のなかに概ね収まるようになる。そして読者は右上から左下へ斜めに文字を追って意味を理解していく。この読み方に日本の漫画の読者は慣れているので、普段はほとんど意識しない。

 さて、セリフの一行当たりの文字数は、『大阪ハムレット』ならば5~10文字の範囲にほぼ収まる。セリフの多い漫画でも、平均値が20文字を超えるような作品はまずない。ところが、短歌の一行あたりの文字数といえば、最近の調査で26.3文字であることが判明した*2 よって短歌を漫画のなかで一行書き表記すると、次のような形になる。


図2.[『ショートソング』原作:枡野浩一/漫画:小手川ゆあ(集英社)第1巻p.192]

 図2のページでは、セリフ部分は適当な文字数で文章を区切っていたのが、短歌で一行あたりの文字数が一挙に増える。読者からすれば、それまで慣れていた斜め方向の読みができず、上下一方向に字を追わなければならない。そのため文字を追うのがぎこちなく、つまり読むテンポが遅くなるのだ。一行書きは、この場面のように掲載歌が物語のなかで重要な意味を持つ場合、その歌をじっくり読ませて印象を深める効果が期待できる。この効果をここでは「縦読み効果」と呼んでみよう。

 『大阪ハムレット』の場合、AとBを合わせた文字の塊は、斜め方向の読みに適した配置といえるだろう。各行の中央部を結んだ線の延長上に直子の顔の中心があり、右上から左下へほぼ45度の視線の流れを誘導する。また、AとBのまとまりは各行の最後も一文字分ずつ下がっており、斜めに読む流れを強める。対してCパートでは、一行の文字数が倍になり、縦一方向に読まなくてはならない。しかもこの場面で短歌に使用されているフォントは通常時より極端に大きい。Cパート一行の縦の長さを、『大阪ハムレット』で使用される一般的なフォントの縦幅で換算すると26~27文字分ほどある。よってCパートの縦方向の視線の移動距離は、相対的に非常に長いのである。以上から、AからBパートを読むときに比べ、Cパートを読むときのテンポは緩やかになる。ここでも「縦読み効果」が効いていると言える。この効果は、漫画の文字と絵を同時に読ませる技術、つまり文字を斜め方向に読ませるような配置と、それに対する読者の慣れが前提となって生まれるものである。

 参考に『大阪ハムレット』と近いレイアウトで文字だけを表記したものを用意してみた。図1と比較して、文字のまとまった塊を斜め方向に読むという意識はあまり働かないはずだ。それは漫画という枠組みを離れたために、特に右から左へ視線を誘導する効果が弱くなったからである。よってA・BパートよりCパートのテンポが緩やかに感じられることもないのだ。

図3.『大阪ハムレット』の掲出歌シーンをレイアウトだけ再現

〈 リズムのまとめ 〉

図4.「不来方の~」リズム表現図。『大阪ハムレット』の表記を読者が読んだときを想定した場合

 図1の表記で読んだ時のリズムをまとめて、上のように表記してみた。マスの幅は一文字を読む時間を表し、幅が広いゾーンほどテンポが緩やかであることを意味する。黒いマスは休止を表し、幅が休止の時間を表す。なお各マスの幅は時間の比率をそのまま反映しているわけではなく、あくまで長さ/短さの度合を相対的に表している。

 『大阪ハムレット』の表記に沿って掲出歌を読むと、2回の休止を隔てて、下句でテンポが緩やかになるのだ。

〈 意味とリズム 〉

 リズムは、歌の意味とも関連してくる。この場面では、歌を読んだ直子が、上記に説明したようなリズムで読んだことと同時に、この歌の意味をどのようなプロセスで理解したかも描かれている。

 Cパートは読者が緩やかなテンポで読むようなレイアウトになっているが、それは直子が該当部分を長い時間を割いて読んでいる様を演出する。時間をかけるということはそれだけ言葉に集中している、つまり感動していると言える。とすると、直子にとっての掲出歌における各部分の重要度は、C>B=Aであると表現されているのだ。

 この点は背景の描き方とも一致している。Aのあるコマの背景が真っ暗に描かれているのは、まだうまくイメージが立ち上がっていないことを示しているようだ。実際、「不来方の」は、それだけでは具体的なイメージが浮かばない言葉である。次に読者はBパートを読み、視線はCパートに行く前に直子の表情と、背景の空を意識する。背景の空は、Aパートとの対比で直子の心の中に空のイメージが立ち上がったことを表現する。また短歌を読む直子の表情が挿まれる点は、読者からすれば直子の内面を一度慮ってからCを読むことになり、直子の心情とCの句のつながりを強く感じるだろう。

 ちなみに二つの休符については、〔1〕が意味を立ち上げるに至らない戸惑いを強調し、〔2〕が歌の最高潮となる一節を強調するための間として機能している。

私はどう読んだか(啄木編)

 『大阪ハムレット』では直子が歌を読んだときの掲出歌のリズムが、レイアウトによって細かく表現されている。しかしこのリズムは、筆者(久真)がこの歌を読んだときのそれと違うのである。ここからは筆者が黙読するとどんなリズムに読めるかを書いていこう。

図5[『日本の詩歌5 石川啄木』(中央公論社)p.46]

 以降は図5を原典の表記と呼ぶ。引用した本は厳密な意味での原典ではないが、初版本の表記になるべく従ったと後記にあるので、読んだときの印象はほぼ同じと考える。私が読んだとき、休止と、それによって分けられるパートは次のようになる。

〈 休止 〉

 休止の間隔は〔1〕=〔2〕である。三行書きの各行の間にあり、間隔は同じように感じる。

〈 テンポ 〉

 テンポは速い順に一>二=三であるように感じられる。相対的に一行目が二、三行目より速いように感じられる理由は、「不来方の」まで読んだら続く「お城の」が目に飛び込んできて、あれよあれよと「寝ころびて」まで読まされるからだ。しかし「空に吸はれし」は、前後に小休止があるため、ゆったりと余韻に包まれる感じがする。一行目からの落差で、テンポは遅く感じられる。続く三行目にもそのテンポは引き継がれる。

〈 リズム 〉

 私が原典表記で読んだときに感じるリズムをまとめると、下図のようになる。

図6.「不来方の~」リズム表現図。原典表記を筆者が読んだ場合

〈 意味とリズム 〉

 一行目、最初の「不来方」まではよく意味が分からない。ただ字面から「来し方」つまり「過去」をイメージする。「お城」まで来て「不来方」が城にかかっていたことが分かるので、固有名詞なのだなと理解する。回想というか蜃気楼のような漠然としたイメージの城である。なお不来方城(盛岡城)に筆者は行ったことがないので、現物は思い浮かべない。「草に寝ころびて」で、自分は草の匂いと触感を背に感じ、城に視点を固定する。ここまでテンポの速さも手伝って、あっという間に歌の世界ができあがる。一行目を読み終わったとき、私のその世界に既に引き込まれている。

 二行目はゆっくりと読むことになる。「空に吸はれし」で、視点は城から空に移る。晴れた空だ。目線はそこで固定される。もう城はない。どこか自分の体が透けるような感覚になり、「空に吸われる」という表現がよくわかる。この歌のもっとも気持ちいい部分でもあり、スローテンポはそれを存分に味わわせてくれる。

 三行目で「十五の心」と来たとき、吸われたのが「心」だったと判る。「十五の」ということで、その年齢の自分を思い出す。私はさっきまで今現在の自分が草の上にいるように感じていたのに、わざわざ十五歳まで立ち戻らされるのに不満を感じる。この不満を感じながら三行目が行を変えて強調されているのを見ると、なにか勿体付けているようにも見えてしまう。

共通点と相違点

 『大阪ハムレット』の東直子は、筆者同様に歌集を読んでいる設定だ。つまり原典の三行書き表記を読んでいるはずである。その上で、直子と筆者が掲出歌に感じたリズムについて、共通点と相違点をまとめる。

〈 共通点 〉

  • 一行目はテンポが速く、二三行目は遅くなる。(スローダウンする)

 スローに読む二三行目では、言葉を深く味わう感覚を覚える。意味の上で二三行目が重要だと感じている点が一致していると言えるだろう。

 面白いのは、縦書きの原典は文章が一続きであることによってテンポが速いのに対し、漫画では一行を分割して並べた方が速く読める点である。結果的に、原典では一行あたりの文字数が最も多いのが一行目だが、漫画ではその一行を3分割し文字数を均等にかつ最少にするという、逆のレイアウトになった。

〈 相違点 〉

  • 「不来方の」の後に休止がある(大阪ハムレット) ⇔ 休止がない(久真)
  • 一行目のなかにテンポの転換がある(大阪ハムレット) ⇔ 一行目内は同じテンポ(久真)
  • 二行目の間に休止がない(大阪ハムレット) ⇔ 休止がある(久真)

 特にこの休止の存在は、『大阪ハムレット』では直子が歌に感動したのに対し、久真は最後で少し乗れなかった点と関係する。久真は三行目の前に休止を感じたし、引っかかりを覚えたが、直子は休止も感じなかったし素直に読み下した。

 以上、『大阪ハムレット』を参照してわかったことは、「不来方の」の歌の原典を読んだときのリズムについて、筆者(久真)と直子に共通点と相違点のそれぞれがあるということだ。ただし『大阪ハムレット』では、直子が原典を通して感じたリズムを漫画の読者に伝えるべく漫画独特の表現で”翻訳”している。この点は、紛らわしいので注意が必要である。 共通点に着目すると、どちらも一行目より二、三行目にテンポがスローになると感じたのがわかる。これはもしかすると、原典の三行書きにそれを誘導する要素があるのかもしれない。少なくとも筆者にとっては、原典の三行書きがリズムを誘導をしてくるように感じる。

一旦まとめ

 ところで、リズムの誘導について何の制約もしない書き方というのはあるのだろうか。つまり、読者がどんなリズムで読むかの自由度が極めて高いというような。

 次回はその点も考慮して、レイアウトと韻律表現について考察したい。

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