たろうくんとの再会
たろうくん:
先生、遊びに来ちゃった。
けんじろう先生:
おー、たろうくん、元気だったかい?
たろうくん:
うん、ぼくもう中学生だから思春期とかで大変だけど、元気だよ。先生はいまみよちゃんを教えてるんだよね。
先生:
よく知ってるね。
たろうくん:
だって、みよちゃんは友達の妹だからいっしょに「たかおに」してたよ。
先生:
そうだったんだね。ところで急に遊びにくるなんて何かあったのかな?
たろうくん:
ぼく、中学校に入ってからもずっと短歌をつくってたんだけど、なんだか分からなくなってきちゃったんだ。
短歌の違い
先生:
なんだいやぶからぼうに。もうちょっと詳しく聞かせてくれる?
たろうくん:
うん。今までは小学校でずっとひとりで短歌をやってたから平気だったんだけど、中学校では短歌やってる友達がたくさんいてね。
先生:
短歌の仲間ができたんだ。よかったじゃない。
たろうくん:
そうなんだけど、みんながつくっている短歌とぼくのつくる短歌がなんかちがう感じで不安だし、ぼくの歌のことをだれも良いって言ってくれないんだ。
先生:
そうだったんだね。
たろうくん:
うん。みんなが良いっていうような短歌のことを、ぼくはあんまり良いと思えなくて、でも、それってぼくが短歌のことをまだ分かってないからなのかな。
いくつもの価値観
先生:
たろうくんは、ひとつ新しいステップに進んだみたいだね。
たろうくん:
んー、そうなのかな。小学校のときは、ずっと短歌のこと好きだと思ってたけど、今はもうやめたいって思ってばっかりでさ、ぜんぜんたのしくないや。ぼくにはやっぱり短歌向いてないみたい。もう俳句にしようかな。
先生:
今たろうくんは「価値観の壁」の目の前までやってきたんだよ。たろうくんがこの壁まで来られたのは、すごいことなんだよ。
たろうくん:
すごいの? ほんとに?
先生:
そうだよ。たろうくんは短歌にいくつもの価値観があることに気づいたんだからすごいことなんだよ。
たろうくん:
よく分かんないや。でも、なんかうれしくなってきた。
1円玉と一万円札
先生:
たとえば、1円玉と一万円札があって、たろうくんはどっちのほうに価値があると思うかな。どっちがほしい?
たろうくん:
ぜったい1万円札! 即答に決まってるじゃん。1円玉じゃ、クランキーチョコ1個も買えないけど、1万円札もってたらクランキーチョコ100個買えるもん!
先生:
なるほど。たしかにそうだね。クランキーチョコ食べ放題だ。やったね!
たろうくん:
ぼく、朝も昼も夜も三食クランキーチョコでもいいもん。
先生:
ただ、ちょっと見方を変えると、くすんだ色合いの1万円札より、きらきら光ってきれいな1円玉のほうが大事だっていう人もいるかもしれないね。
たろうくん:
うん。ぼくは一万円札だけど、1円玉が一万円札よりきらきらきれいだっていうのも分かるよ。
「価値観」との距離
先生:
だね。短歌も同じようにいろいろな価値観を持った人たちがいて、それぞれがその価値観のなかで最高のものをつくろうとしているんだよ。現代の短歌の歴史では、大きくとらえると戦後派→前衛短歌→内向派→ニューウェーブっていうような価値観の変遷があるように見えるけど、そうした価値観から距離を置いたところで同時代に活躍した歌人たちもしっかり存在しているよ。
たろうくん:
じゃあ、ぼくは中学校で今まで通りに短歌をつくっていって大丈夫なのかな。
先生:
たろうくんは自分が良いと思って、自分が好きな短歌をつくりつづければいいんだよ。短歌で大切なのは、少しずつでもずっと詠みつづけることだし、いくら圧倒的な他人の価値観があっても、その価値観が自分に合わなかったら無理することはないんだ。急に無理をしてみても、短歌が好きじゃなくなっちゃったらもったいないよ。
たろうくん:
そうなんだ! じゃあ、やっぱりこのままつくっていってもいいんだ! よかった!
先生:
自分にフィットする価値観で歌をつくりながら、いろいろな人の価値観を知って、ゆっくり考えていけばいいんだよ。急に変えなくても、時間といっしょに変わっていく部分が大きいからね。
持つ/持たれる
たろうくん:
でも、自分の価値観が古かったら、やっぱりちょっとやだな。
先生:
んー。少し昔は、ひとつの大きな価値観がどんどん進化していくっていうものの見方が多かったけど、今はたくさんの価値観が併存しているっていう見方も強くなっているからね。
たろうくん:
そうなのかなあ。
先生:
もし古いからだめとか、新しいからだめとかっていう人がいたとしたら、その人はその人が価値観を持っているんじゃなくて、価値観にその人が持たれている状態なんだ。価値観を持つっていうことは、実感よりも、ものすごく繊細なことだし、価値観はすぐに人を持ちたがるから要注意だよ。
たろうくん:
うん。わかった。やっぱり先生のとこに来てみてよかったかも。
みよちゃん:
あ、たろうくん! 先生と短歌の相談事?
たろうくん:
うん! でももう解決しちゃった。みよちゃん、今度歌会やろうね。
解説
短歌をはじめて少し経つと、「価値観の壁」に当たるときが来るかもしれません。今までの、自分だけの価値観とは違う価値観に取り囲まれて、自分が良いと思う短歌がなんなのか分からなくなるときです。短歌の世界では、価値観が一方向になびきやすいように個人的には思っています。そのときどきの、主流の価値観というものがあるのか判断は難しいところですが、もしそうしたものがあったとしても、その価値観に乗れないのなら無理に乗る必要はまったくありません。価値観の拡張はおおいにやるべきですが、いま大切にしている価値観があるならそれを放棄して乗り換える必要はありません。一方で、たくさんの違う価値観について知ることはどんどんやってください。そのなかで時間を重ねながら自分の歌を詠んでいくことが絶対的に大切なことです。また、自分が批評等をする際には、「価値観」という言葉の、安易に使ってもそれなりに威力を発揮してしまうマイナスの面を、視野のどこかに置いておくと良いかもしれません。そうすることで、「価値観」といって済ませてしまうよりも「ふくらみ」をもった批評が生まれてきます。
季節の植物
花降らす木犀の樹の下にいて来世は駅になれる気がする 服部真里子『行け広野へと』
上句(かみのく=最初の5・7・5)のしずかさの漂う風景が、下句(しものく=後半の7・7)で想像力、ひらめきと合体してぐんと一首が広がりを得ています。上句と下句がシンプルな「て」でつながれていることにより、初句からの冷静なテンションが下句へと受け継がれ、そのテンションによって一首が統一されています。また、木犀の花の降るせわしなさによって、自身の不動さが照射され、その不動さが駅という建物の存在を呼び出しているとも言えます。