「うたらば」の短歌たち
はじめに
前回の記事では読者と作品の関係性をベン図により解説しました(図1・図2)。今回は図2の状態において、作品側へ読者を引き込むポイントごとに作品を分類しつつ、「うたらば」の採用短歌をご紹介したいと思います。ついでに、表紙フォト短歌に選ばれている作品についてはその画像も一部ご紹介します。
共通認識からのずらしのテクニック
慣用句や有名なフレーズが、文字として作品中に登場するタイプの作品です。「共通認識を利用する」という言葉が一番分かりやすい例と言えるでしょう。いい意味で読者を裏切り、その気の利いた裏切りに読者は惹かれる。例えばこんな短歌です。
- 細々と暮らしたいからばあさんや大きな桃は捨ててきなさい (木下龍也)
おばあさんが桃を拾って帰るという桃太郎のお話を下敷きにして、桃を拾わないという選択肢を提示しています。その理由が「細々と暮らしたいから」。気が利いています。波乱を好まない人だっています。
- この顔にピンときたなら110番キュンときたならそれはもう恋 (山本左足)
「この顔にピンときたなら110番」は交番の前に貼っていそうな指名手配ポスターですね。それを軸に下の句を展開する。反復によるリズムの良さも読んでいて心地良いです。
- ああ人は諭吉の下に一葉をつくり英世をその下とした (工藤吉生)
福澤諭吉『学問のすゝめ』の一節「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」がベースにある作品。紙幣のヒエラルキーに転用することで諭吉が矛盾しているかのように見せている点が秀逸です。
- この道はいつか来た道 ああそうだよ 進研ゼミでやったところだ (あみー)
北原白秋作詞の童謡「この道」の本歌取りから、進研ゼミの広告で使われるフレーズという飛躍が面白いです。作者自身の言葉はゼロなのに成立している。組み合わせの妙ですね。
この方向には他にはこんな作品も。
- 友だちが百人できてもさみしいと先生ちゃんと教えてください (chari)
- 家に着くまでが遠足 帰りたい家を見つけるまでが旅です (空木アヅ)
- お前など死ねばいいのだたくさんの孫に囲まれ老衰で死ね (牛隆佑)
- レディレディ、位置に着いたら一番になりたい理由を考えなさい (リオ)
- 今どこにいますか何をしてますかしあわせですかもう春ですか (たきおと)
慣用句や馴染みのあるフレーズを下敷きにする作品は読者との共通点を手早く作れるメリットがあります。一方でうまく飛躍させないと「見たことある」とスルーされるリスクもあります。ベースとなる認識をうまく利用できているか、飛躍によりどんな感情を読者に提供するか。そのあたりが一首の強さに影響してきます。
一枚の絵としての魅力がある
巧さや面白さだけが読者にとって魅力的な短歌ではありません。一首を読んだときに頭に浮かぶイメージの美しさや意味深さもまた読者を惹き付ける要素でしょう。
- 縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています (飯田和馬)
「うたらば」の作品で最も愛されている作品のひとつだと思います。「縦書き」と「雨降り」と「物語」で雨の景色と小説の1ページが重なりあう美しい絵を読者の心の中に描きます。
- 会心の一撃として向日葵が天に撃ち込む黄の鮮やかさ (中西大輔)
向日葵が咲く景色はすぐに思い浮かびますが、「会心の一撃」「天に撃ち込む」と描くことでその勢いがぐっと強調されています。そびえ立つ向日葵を地面から見上げているような、そんな景色が思い浮かびました。
- 地球上すべてのひとが信号を渡ったあとで青は渡った (実山咲千花)
意味深さが魅力的な作品です。フィクションであっても、グッとくる世界観は人を惹き付けます。次に書く「物語を想起させる」魅力も併せ持っている作品ですね。
他にはこんな作品たち。
- 助走から疾走までにあったこと君に話そうひと夏のこと (紗都子)
- ひとすじの光はここへ本、扉、すべての閉じていたものたちへ (星乃咲月)
- ににんがし、にさんがろくと春の日の一段飛ばしでのぼる階段 (むしたけ)
- セーターの編み目のとこから指を出し「ハロー」とか言ってしあわせだった (ユキノ進)
読者の脳内で花開くイメージが凡庸では魅力的になりません。どんなシーンで、どんなことが起こっていれば魅力的に見えるか。その感覚は短歌に限らず小説や漫画、絵画などあらゆる表現物に触れることでも養うことができます。
作品に描かれていない物語を想起させる
限られた文字数で作品の奥にある世界の広がりを想像してもらう。それもまた短歌の魅力です。前後の物語まで読者に想像させて、そこに魅力を感じてもらえるような作品も、「うたらば」では比較的採用されやすい傾向にあるように思います。
- 黙らせるために渡した飴なのに「おいしいね」って君は笑った (赤井悠利)
君は恋人なのか友達なのか、二人の関係性に想像が膨らみます。飴を渡されてそれでも笑う相手の憎めない鈍感さもチャーミングなものに見えました。
- 下駄箱の前にちいさなやぎがいてまた食べられるあたしの勇気 (山田水玉)
明らかなフィクションでも、そのお話が魅力的であれば物語としての強い作品になります。「下駄箱の前にちいさなやぎがいて」というビジュアルとしての滑稽さもまた読者を惹き付ける要素になっています。
- 母からの「可愛い」という一言をお守りにしてゆく夏祭り (小川千世)
おそらくは恋でしょう。しかも初々しい。母がかけてくれた言葉に背中を押されて出かけていく主体の表情や緊張感まで伝わってくるようです。
他にはこんな作品も。
- 好きだって言うより先に抱きしめた 言葉はいつも少し遅れる (木下龍也)
- ひとりでも生きていけると知ったからきちんと君と手を繋ぎたい (とき)
- もう何も傷つけぬよう切る爪が思いもよらぬ方向へ飛ぶ (ちょこま)
- 君の事忘れるための旅なのに 話したいことばかりが増える (きつね)
- 終わらせる為の「レモン」に君がすぐ「ソーダ」を足して続くしりとり (こころ)
この方向の場合、詠まれた内容が事実かどうかより、ひとつの物語としてのシズルがあるかどうかが重要と考えています。脚色によりどのように一首を立たせるか。腕の見せ所です。
既知のものに新たな気付きを与える
冒頭のベン図ではよく知っている物事は既知としてスルーされてしまう可能性が高いものとして扱いました。しかし、既知の物事でも読者が気付いていない新しい側面を指摘することで驚きを提供することは可能です。例えばこんな歌。
- 永遠と思いこんでた「青春」の二文字の中に「月日」があった (逢)
この歌も、「うたらば」の短歌の中で最も愛されてる作品のひとつです。「青春」の漢字に隠された「月日」。「青春」という単語自体が普遍的なものだからこそ、多くの人がこの気付きにハッとしてくれます。
- 非常口マークの奴も時々は逃げたくないと思うんだろう (葛山葛粉)
非常口マークのあのピクトグラムはどんなときでも逃げ出す姿勢。普段は誰も気に留めず疑問も感じていないところに一石を投じることで、「なるほど」と思わせることに成功しています。
- 脳みそがあってよかった電源がなくても好きな曲を鳴らせる (岡野大嗣)
第1歌集『サイレンと犀』(書肆侃侃房)を上梓したばかりの岡野さんの作品。鼻歌を歌ったり、歩きながら口ずさんだり。そんな日常が「脳みそ=電源不要の音楽プレーヤー」という納得性の高い切り口の提示により、新鮮なものに見えてきます。
- アドレスが一件増えて着信のすべてに期待が生まれてしまう (とき)
「ケータイに連絡先を追加すること」がどんな意味を持つのか、恋愛という切り口から描いた一首。恋愛とはまったく書かずにケータイアドレス登録の話だけで恋愛のことと推察させる距離感も見事です。
他にはこんな作品も。
- 好き嫌い嫉妬妄想妻妥協「女」のつく字がみなおそろしい (瀬波麻人)
- 履歴書は白紙のままで鶴になる 折るという字は祈るに似てる (山本左足)
- 「ありがとう」よりも「ごめんなさい」が増え 僕の日記が遺書に近づく (島井うみ)
- 私って幸せだったのかなーと四つ葉のクローバーが死ぬ夜 (こしあん)
身の回りにあるものをいかに柔軟な目で見るかがこの方向のポイント。日頃から気になった物事をメモしておくと短歌を作るときの助けになるかもしれません。
笑いはやっぱり強い
いろいろと趣向を凝らした作品も素敵ですが、無条件に読者を笑わせてくれる短歌は「うたらば」の選歌基準においてはやはり外すことができません。
- 気持ちだけいただこうかと思ったら気持ちの方が空っぽやんか (じゃこ)
気持ちが空っぽの贈り物。その肩すかし感。吉本新喜劇なら全員ずっこけてます。冒頭で挙げた「共通認識を下敷きにした短歌」でもありますね。
- 愛してる、幸せ、だけどこの先は別料金が発生します (赤井悠利)
「愛してる」も「幸せ」もその単語自体ではウェットな印象ですが、ドライな下の句により非常に虚しい響きになってしまいます。そのドライさに清々しさまで感じます。
他にはこんな歌たち。
- 入賞じゃ以下同文の賞状をもらってお辞儀して下がるだけ (じゃこ)
- 優秀なペンギンなので空を飛ぶことを望んでなんていません (じゃこ)
- この町にブスしかいないのはたぶんかわいい子だけ旅に出たから (木下龍也)
- 神妙な面持ちですねあと少し待てば赦すと思ってますね (こはぎ)
面白いことを詠もうと狙いすぎると面白くなくなったりするこの方向。舞台の途中で自らのネタに吹き出さない漫才師のように、面白いことを客観的に淡々と詠む。そうしてはじめて観客=読者を笑わせることができます。
強引に断定して首を縦に振らせる
短歌には勢いも大切。少々強引な断定でも言い切ることで読者が思わず首を縦に振ってしまうような作品も多く採用しています。
- 女には人生一度か二度くらい逃さねばならぬ終電がある (倉野いち)
「ならぬ」とまで言い切られると妙な納得感があります。なのに「人生一度か二度くらい」と頻度については断定しきらない無責任さに好感がもてます。
- Amazonのどんなサイズの箱であれ中身はいずれ猫になります (木村比呂)
過剰包装のイメージがあるAmazonですが、一番小さい箱にはおそらく猫は入らないでしょう。それでも、「中身がいずれ猫になる」と言い切られると、その一番小さな箱にも無理やり入ろうとする猫の姿が浮かんできて、そのイメージにやられてしまいます。
- 雪国に行くトンネルを反対に抜ければそれが春ではないか (あみー)
そんなことは絶対にありません。理屈上は合っているような気がしますが、現実的にはきっと冬、あるいは秋です。違うと分かっていても春を定義する新しい切り口として納得性があるところにこの作品の良さがあります。
他にはこんな短歌たちも。
- 十二月二十四日と十二月二十五日は異様に長い (木下龍也)
- 図鑑には載ってないけど木漏れ日が一番きれいなのは栗の木 (山本左足)
- 育つとは大きくなることではなくてもう戻れなくなることである (泳二)
- 世界一やさしい単語のひとつだと思うあなたのなまえ呼ぶとき (月夜野みかん)
どんな断定も読者が同意できないと作品としては失敗です。シリアスにならず無責任に言い放つくらいが成功の秘訣かもしれません。
おわりに
今回は便宜上、いくつかのパターンに分けて採用短歌を紹介しましたが、読者の心をつかむ方法はこの分類がすべてではありません。美しさ、面白さ、意味深さ、楽しさ、悲しさ、虚しさ。詠んだ作品で読者となにを共有するのかを意識することで、アウトプットはきっと変わるはず。採用短歌を読んで何かしら掴めたものがあるなら、ぜひ一度「うたらば」へご投稿のほど、よろしくお願いします!
ちなみに、過去の採用作品はうたらば公式サイトにてすべてご覧いただけます。また、表紙フォト短歌はポストカードとしてうたらばWEBSHOPにて販売もしております。あわせてよろしくお願いいたします!