大松達知『ゆりかごのうた』を読む

「さまよえる歌人の会」は月に一度、東京都内で開催される歌集勉強会です。参加条件はただひとつ、その月の課題歌集を事前に読んでくることだけ。今回は2014年8月に読んだ大松達知『ゆりかごのうた』をご紹介します。
(木)
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ゆりかごのなかにいるもの

 『ゆりかごのうた』は、tankaful読者の方には「大松線」でもおなじみ(?)、大松達知の第4歌集。あとがきによれば、「二〇〇九年から二〇一三年(三十八歳から四十二歳)までに諸紙誌に発表した作品の中から四四四首を選」んだもので、「おおむね編年順ですが、制作年にこだわらず章としてまとめたものも」あるとのことです。

 『ゆりかごのうた』というタイトルの元になっているのは、北原白秋の「揺籃(ゆりかご)のうた」。あとがきでは「ますますよくわからない日本と世界の関わりや今の短歌をめぐる状況、そして自分自身にこそ安らぎを与えたいと思って付けました」と(やや婉曲的に)述べられていますが、

揺籃のうたを カナリヤが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

という歌詞を思い出せば、これが一義的には赤ちゃんを見守る優しい眼差しを歌ったものだとわかるでしょう。大松版『ゆりかごのうた』で大きなテーマになっているのも、娘の誕生です。

  •   生後二十分。
    くらぐらとああぐらぐらとわが子なりトゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子を抱く
  • 子が()れて一ヶ月目の父の日の、しやつくりさへも代はつてやれず
  • おまへを揺らしながらおまへの歌を作るおまへにひとりだけの男親

 かつて、我が子への愛をこれほど手放しに歌った歌があったでしょうか。歌集をめくりながら、読者までニコニコしてしまうような歌が並んでいます。

 ただ、娘の誕生をめぐるエピソードが登場するのは、p.100の連作「心音」から。歌集前半では教師としての日常がメインに描かれ、連作「心音」で、

  • みごもりてまだ喜ばずその先の隘路険路をわれら知るゆゑ
  • まだ父になると決まつたわけぢやない 〈お父さんのためのしじみ味噌汁〉
  • 心音を聞けば聞くほどあやふげな、いのちとならんものよ、いのちとなれ

と、妊娠中の日々を綴った上で、いよいよ後半、出産と育児の歌が登場します。「おおむね編年体」の歌集ですし、第3歌集『アスタリスク』からも時系列がほぼ連続しているので、中盤で出産を挟む形になったのはある程度偶然なのかもしれませんが、この構成によって、歌集に小説的な奥行きが生まれたのは確かです。

 さまよえる歌人の会で取り上げたのは、2014年8月。レポーターは、山木礼子さん(未来)と、内山晶太さん(短歌人、pool)でした。参加者は20名、作者の大松さんも参加され、賑やかな回になりました。

100歳っぽい40歳

 まずは山木さんの発表から。

  • 広辞苑の液晶画面はつぶやけり中年は〈40歳前後の頃〉だ
  • クリーニング師免許証見ゆこの人の本籍地佐賀、おれより若い
  • 豆腐だけ作つて売つて五十年五十年後もこんな(をとこ)あれ
  • 〈大正〉を換算するに宮柊二つねあらはるる一九一二(いちきういちにい)

 前述した通り、この歌集に収められているのは作者が38~42歳の頃の作品です。40歳前後と言えば働き盛りの年齢という印象ですが、大松達知の歌には「若さへの郷愁」がある一方で、「私」の生前に及ぶ時代感覚があり、時間的に近現代短歌とつながっている意識があるのではないか、と山木さんは分析します。ここに挙げた1~2首目は、「もう若くない、中年の自分」をまっすぐ見つめたもの。3~4首目は、「100歳の人っぽい」歌(山木さん談)。

 一方、子供の歌は、とにかく「全肯定」なところが特徴です。

  • おまへを揺らしながらおまへの歌を作るおまへにひとりだけの男親
  • みどりごにわが日本語を吹きかけるちいちいぱつぱグローバルたれ
  • ベビーカー先立ててゆく秋の野のわれに差す陽が赤子にも差す

 子育ての現場では、大変なこと・辛いこともたくさんあるはずですが、これらの歌はとにかく明るい。2首目については、「グローバリズムとは、普通光と影の両方を持つ言葉だが、ここでは光のみが捉えられている」と山木さん。確かに、「グローバルに育ってほしい」という願いに、迷いがありません。

  • ちちおやに股間吹かれて喜べる娘ゼロ歳赤ちやん盛り
  • うんちうんちうんちこんなにうんちなりうんちを待つてうんちを喜ぶ

これらの歌からは、父親と娘、両方の「生身の迫力」を感じると山木さんは評価します。そして、2首目について「ニューウェーブの歌では疑似幼生として『うんち』などが使われることがあったが、この歌は、親は親の立場のままルネサンスを迎えている」と比較しました。このとき山木さんの念頭にあった「ニューウェーブの歌」が具体的にどれなのかはわからないのですが、たとえば、「うんこ」の出てくる歌としては、

  • サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
    穂村弘『シンジケート』(1990)
  • 耳で飛ぶ象がほんとにいるのならおそろしいよねそいつのうんこ

が、また、疑似幼生というキーワードからは、

  • いたましくホットケーキは焼き上がりきみもぼ、ぼくも笑っちゃいそう
    加藤治郎『昏睡のパラダイス』(1998)
  • ママの肩にタオルがのせてあることの悲しくて去る昼の美容院

などが想起されます。穂村弘の歌や加藤治郎の歌は、ある種の「幼さ」を自分自身の文体に組み込むことで、短歌の新しい表現を拓いてきたと言えます。一方、大松達知は、「幼さ」を自分に引き付けるのではなく、あくまでも成熟した親の立ち位置を貫いている。しかし、幼い子を生々しく描き出すことで、自らの短歌に新鮮さを呼び込んだ、ということになるのではないかと思います。

 大松達知の歌を「ポスト・ニューウェーブ」の文脈で読んでいいのかどうかは慎重を期したいところですが、大松短歌が、加藤治郎や穂村弘といったすぐ上の世代の文体を直接吸収せずに、独自の道を歩んできたということは確認しておいていいでしょう。

 「生身の迫力」と関連するかもしれませんが、山木さんはもうひとつ、「表現の二重性」というキーワードを挙げています。

  • われの字で書いてあるけどなんだらう ノコギリの目立て(お気に入りのめかけ)
  • 流れ星いくつ流れてどの星が叶へてくれた祈りだらうか

 大松短歌は基本的にはとても緻密に設計されていて、表現に過不足がない。しかし、これらの歌は表現上、消化しきれていないところがあるが(1首目は歌意が取りにくく、2首目はポップス的)、フィルターを通していない、生の「私」を感じる。緻密に構成された歌のなかに時々こうした生な歌が入っていると、ストレートな感動が伝わってきて魅力を感じる、とのこと。

 こうした二重性については、次の内山さんの発表でも言及されていますので、さらに見ていきたいと思います。

しっとりした主体/しっとりしていない主体

 内山さんの発表では、まず、大松短歌の大きな特徴である「言葉への興味」について言及がありました。

  • ながくながく使ひし洗濯ばさみかな()()()()()()と言ひつつ捨てる
  • ()とまちがへたときそのままでいいですと言つた中島が怖い
  • ハイと応へハイハイと心で言ひ直す窓の向かうのくすのき見つつ

 これまでの歌集でも一貫していましたが、大松達知は言葉や音に対して非常に敏感で、細かい言い回しにこだわりがあります。洗濯ばさみのバネが弱くなることを「バカになる」という面白さ。「中鳥」と「中島」の違い。「ハイ」と「ハイハイ」の微妙なニュアンスの違い。こうしたところに注目し、歌に掬い取ることにかけては、プロ中のプロと言えます。

  • くびすぢに発疹(ぽつぽつ)がありケイタイで写せばこんなところにも黒子
  • みぎあしの(こむら)あたりが痙攣(ひくひく)すこれはケイタイの震へ(バイブ)にあらず

「発疹」に「ぽつぽつ」、「痙攣」に「ひくひく」、「震へ」に「バイブ」とルビを振るのも独特。記号短歌のような派手さはありませんが、こうしたさりげない工夫にも技が光っています。

  • 映画館ひとつもあらずパチンコ店六つあると聞き屋久島を出る
  • 〈黒毛和種 名前 まき子〉と記される今週の食材いまは食ひをり

日常の中の「発見」を歌に詠む時も、「僕が発見しましたよ~」というドヤ顔を見せず、さりげなく提示するところにいぶし銀の魅力があります。

 こうした特徴を踏まえた上で、内山さんは、大松達知が持つ二つの主体――内山さん流に言うと「しっとりした主体」「しっとりしていない主体」の違いを見ていきます。

【 しっとりした主体 】
  • 手の甲のひどく冷えをりちちぶさのごときマウスを包む右手の
  • なにゆゑに妻の引きたる〈夕化粧〉ぬばたまの辞書の履歴に残る
【 しっとりしていない主体 】
  •   麦焼酎。
    〈中々〉はなかなかうまし 鼻先を抜けゆく麦のよろこびの声
  • オジロヌーはオグロヌーより小さいと、知つて知つて知つてどうする

 「しっとりとした主体」の方は、内容の上でも文体の上でも、落ち着いた大人の歌。一方、「しっとりしていない」方は、立派な主体には言えないことを、さらっと言ったりやったりしてしまう。「中々」と「なかなか」のダジャレもそうですし、「知つて知つて知つて」のリフレインも、「費用対効果を考えると、普通ここで9音も使えない」と内山さん。

 こうした2面性は、育児の歌にも表れており、

【 しっとりした主体 】
  • いつか思ひ出すのだらうかおまへを抱いて玄関にずつとずつと立つてゐた夜
  • 寝かしつけてふすまを閉める おまへひとり小舟に乗せて流せるごとく
【 しっとりしていない主体 】
  • ダメ!と言ひ、No way! と言ひ、不行(プーシン)!と言ひても念じても聞かぬなり
  • 酸つぱい顔教へてをりぬ甘夏を食べて困つてゐる一歳に
  • みどりごのうんちは草の香りせり 六十歳のおまへが見たい
  • 図書館の絨毯のうへ這ひ這ひで追ひかけてをり無敵の父は

と、振れ幅があるところが大松短歌の強みになっているとのこと。特に、終わりに挙げた2首辺りは「無敵」感があります。

 また、男性が赤ちゃんを歌う場合、出産を自ら体験していないため、初めのうちは異形のものとして子どもを見つめたり、屈折があったりすることが多いのですが、大松達知の場合、生まれた瞬間から迷いなく父親らしい。この辺りの意見は、山木さんの「全肯定」というキーワードと重なるところが大きいですね。

トゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子

 個人的に面白いと思ったことがあるのでご紹介します。『ゆりかごのうた』でも特に印象的な、この歌。

  •   生後二十分。
    くらぐらとああぐらぐらとわが子なりトゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子を抱く

「生後20分」を「トゥエンティー・ミニッツ・オールド」と言い換えているのですが、英語教師なのに、英語を習いたての中学生のような初々しい英語を使っているのが、生まれたての我が子を目の前にした興奮と重なっていて、微笑ましくも感動的です。歌集には、

  • (そら)のやうな顔して乳を吸つてをり 哺乳の他に哺の文字を見ず
  • 換へるとき頭の中で書いてゐて〈襁褓〉が書ける六月のわれ

のように、子育て中も「哺」とか「襁褓」とか、難しい言葉を思い浮かべて知的なバランスを取っている(内山さん風に言えば「しっとり」系の)歌もあるので、余計に「トゥエンティー・ミニッツ・オールド」の初々しさが効いて見えるんですね。

 ところが、「さまよえる歌人の会」の前にこれまでの歌集を読み返していたところ、こんな歌を発見しました。

  •   生後二分。
    〈two-minute-old〉といふメモのある娘の写真。息子だつたか  『アスタリスク』

 実は、「トゥエンティー・ミニッツ・オールド」の歌は、大松さんによる「セルフカバー」だったのです。

 〈two-minute-old〉の方は、前後の文脈がわからないのですが、誰かが撮った写真をふっと思い返している歌のようです。この歌を作った時点では、大松さんは自分に娘が生まれることを知りません。ただ、〈two-minute-old〉というメモが「言葉として」印象に残っていたから、それを一首に残した。「娘の写真。息子だつたか」という下の句も、あくまで他人事です。

 ところが、自分に娘が生まれたとき、〈two-minute-old〉と書き記した人の心境が改めて腑に落ちた。そのまま「二分」を「二十分」に置き換えるなら、〈twenty-minute-old〉と英語表記で良かったはずですが、それでは、自分の浮き立つような気持ちにぴったり来ない。それで、英語ではなく、たどたどしいカタカナで「トゥエンティー・ミニッツ・オールド」と記した。そういう経緯があったのではないかと想像します。

 一見、手放しで喜んでいるような「トゥエンティー・ミニッツ・オールド」の歌も、丁寧な修辞的考察のもとに作られている。そして、一人の人生の軌跡が刻み込まれている。そのことに気づいて、大松達知の歌人としての底力を再確認したのでした。

技を技と感じさせない

 フリートークで出た意見を箇条書きにします。

風邪で声が出なくなったSさんはホワイトボードで意見表明

修辞

  • すっと読めるが、二度読むと発見がある
  • 技を技と感じさせないスムーズさ
  • 実際には、ものから言葉を連想しているはずだが、言葉が先にあるように書いてある歌があり、面白い

子の歌

  • 肯定感あるが親バカにはなっていない不思議
  • 生まれたのが娘(異性)だったからこういう肯定感が出たのかも
  • 娘がグレたらどんな歌になるのか。今後の展開が気になる

作中の「わたし」

  • 主体のキャラ設定が一貫している
  • 言語上の「我」と個人的な「我」が乖離していないが。ときどき、個人史の深いところへすーっと降りていくような歌がある。

テーマ

  • 「アンパサンド」の一連が面白い
  • 野球♡

「私の好きな一首」コーナー

 「私の好きな一首」コーナーから引用します(矢印以下は選んだ人の一言コメントです)。

  • 一灯(いつとう)になつたり一俵になったりし、いま一輪のみどりごである
    → 肯定感
  • ジョン・レノン聞かせるたびに泣き出す子ジョン・レノンのこころ深く知るべし
    → 言ってしまったお父さんすごい。
  •   かすみ草。
    子を抱いて立つくらがりのまへうしろかすかに香るベイビーズ・ブレス
    → かすみ草=ベイビーズ・ブレスという発見。かすみ草の花言葉「ありがとう」も念頭にあるか。
  • 初恋のマリコちやんにも似てゐなくなくもなくつて娘一歳
    → 異性としての娘。
  • いまはまだsadの他の語彙のなくsadと書けりその母の死を
    → 子供の純粋さを肯定していない。
  • 生徒らに起きろと諭し、みどりごに眠れと祈る、はつなつの風
    → 外向きの人格と内向きの人格が重なってくる。本来ははっきりしないもの、分けられないものが好きではない人だが、分けられなくなったところにこの一首がある。
  • ビール飲んでもうまさうな顔しないこと身ごもりびとの妻と約せり
    → 難しいことを約束したものだな、と…(T村Hさん)
  • 父と赤子のみ残されるストーリー寝しなに語る不惑の妻は
    →(妊娠中の歌)何があるかわからない不安感。考えさせられる。
2次会で明太子食べ比べ

 さて、次回はいよいよ、恐ろしくも楽しい「さまよえる合宿」のレポートです。お楽しみに。

さまよえる歌人の会へのご参加・お問い合わせは、石川美南 shiru@m13.alpha-net.ne.jp まで。連絡用のメーリングリストをご案内します。
次回以降のメニューは、
1月24日(土):服部真里子『行け広野へと』
2月28日(土):池田はるみ『奇譚集』
です。

いしかわ・みな
短歌同人誌poolおよび[sai]の他、さまよえる歌人の会等で活動。歌集に『砂の降る教室』、『裏島』、『離れ島』がある。橋目侑季(写真・活版印刷)と共に「山羊の木」としても活動中。
Website 山羊の木
Twitterid = shiruhitozo

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